2008年03月22日

パパ買って!

「パパ!」もしくは「おじいちゃま!」っと
「徳川家」から「姫路藩」の為に お金や地位を手に入れた、お姫様達

亀姫:徳川家康の長女
   1560年6月27日(永禄3年6月4日) - 1625年7月1日(寛永2年5月27日)
   息子の松平忠明(第24代姫路城主・第7代姫路城主(石田説))を徳川家康の養子へ

督姫:徳川家康の次女
   1565年12月3日(永禄8年11月11日) - 1615年3月3日(慶長20年2月4日)
   姫路藩の石高を増やしてもらい、息子達は新しい領土を手に入れる

千姫:徳川家康の孫で徳川秀忠の長女
   1597年5月26日(慶長2年4月11日) - 1666年3月11日(寛文6年2月6日)
   10万石の化粧料を持って本多忠刻に嫁ぐ(姫路城主 本多忠政の長男)
   そのお金で建てたのが「姫路城 化粧櫓」


「パパぁ うっふ♪」っと「姫路藩」のお金を使ってもらった女性

高尾太夫:榊原政岑(第35代姫路城主・第18代姫路城主(石田説))に身請けしてもらう
     生没年は不明


「お祖父様 兄上 甥!」っと「姫路藩」のお金を使ってもらった男性

酒井抱一:酒井忠恭(第39代姫路城主・第22代姫路城主(石田説))の孫
     酒井忠以(第40代姫路城主・第23代姫路城主(石田説))の弟
     酒井忠道(第41代姫路城主・第24代姫路城主(石田説))の叔父
     1761年8月1日(宝暦11年7月1日)- 1829年1月4日(文政11年11月29日)
     絵師、江戸琳派の祖  続きを読む
タグ :姫路城


Posted by もこ at 15:11Comments(0)小ネタ

2008年03月11日

やってみた

「学習天国ぽすと」に「姫路観光文化検定」があったので、やってみました♪

「認定書」頂きましたピカピカ

「姫路観光文化博士レベル」では「姫路観光文化検定3級」は落ちるらしぃ......ガーン

全問正解で良かった♪
実はこの問題、姫路検定3級で過去に出題された問題なんです。

問題数は10問「ランダムで5問」出題されます。皆さんも挑戦してみて下さい♪
(もうちょっと、問題数増えないかな........。)  


Posted by もこ at 11:51Comments(0)小ネタ

2007年07月13日

もこ説 姫路築城動員人数(No1)

「公開計算♪ その4」の他に計算式に取り込みたいのが「3つの小天守」で 乾・東・西の小天守で
↓姫路城空撮


姫路城は大天守と3つの小天守から成り立っている、連立式天守なのです。


↓高知城空撮


しかし.....ネットや自宅の資料だけでは小天守の規模の詳細はわからず......。
図書館へGo!......
考えている事は皆同じなのか?
見たかった本は貸し出し中、別の資料を発見♪
(でも....高知城の敷地面積は解らなかった)

面積
姫路城:総面積908坪
 大天守総面積712坪、東小天守総面積38坪、乾小天守総面積95坪、西小天守63坪
高知城:総面積146坪
 天守総面積146坪

天守の総床面積から考えると、姫路城は高知城の6.219倍の規模

高知城は302.4万から327.6万人の人が築城に動員されてそうなので
姫路城は1,880.6万から2,037.3万人の人が築城に動員された計算になる

まだ...数字が小さいな.....(目標2,500万人♪)  


Posted by もこ at 12:45Comments(0)小ネタ

2007年07月12日

公開計算♪ その4

姫路城築城に動員された工夫さんの人数を計算してみよう♪ その4

☆仮説4☆
3.高知城は一日1200から1300名、一人につき 搗米七合と味噌代を金銭で支給
  工期は7年 という資料が残っている。
  盆正月をのぞいた360日、工事をしたとして......。

高知城は延べ302.4万から327.6万人の人が築城に動員された事になる......。

ここで、問題になるのが お城の規模で.......。

姫路城:内曲輪以内23ha、外曲輪以内233ha
高知城:

大天守の構造
姫路城:5重6階地下1階(連立式)
高知城:4重5階(独立式)

面積
姫路城:総面積712坪
(地下107坪、1階166坪、2階163坪、3階113坪、4階64坪、5階64坪、6階35坪)
高知城:総面積146坪
(初層と2層を総二階造り48坪+48坪、3層16坪、4層16坪、5層9坪、最上層9坪)
※姫路城は昭和の大修理での調査結果に基づく

大天守の総床面積から考えると、姫路城は高知城の4.876倍の規模

高知城は302.4万から327.6万人の人が築城に動員されてそうなので
姫路城は1,474.5万から1,597.3万人の人が築城に動員された計算になる

なんだか、お偉い先生がはじき出した、人数にはまだ遠いぞ!!(爆)

まだ他にも細かい計算があるので、この仮説は続きます。  続きを読む


Posted by もこ at 21:18Comments(0)小ネタ

2007年07月12日

公開計算♪ その3

姫路城築城に動員された工夫さんの人数を計算してみよう♪ その3

☆仮説3☆
2.飾東郡(現在の飾東町?)に、200名を姫路によこして欲しいと言う古文書がある

明治22年4月1日に市制施行した姫路市は、
市域面積3.03平方km、人口24,958人と江戸時代とあまり変わりませんでした(姫路市HPより)

..........
あまりにも、データ不足のため、ここから仮説をたてるのはあきらめます。  続きを読む


Posted by もこ at 20:15Comments(0)小ネタ

2007年07月12日

公開計算♪ その2

姫路城築城に動員された工夫さんの人数を計算してみよう♪ その2

☆仮説2☆
1.公共事業費(人件費?)は本当に3%??

高知城は一日1200から1300名、一人につき搗米七合と味噌代を金銭で支給、工期は7年
高知城を築城した「山内一豊」の台所事情は「20万2,600石」だそうで
........味噌代って.....仙台城の七合五勺(7.5合)を採用!!
公共事業だし、今のように『工事の音が五月蝿いから、休みの日に工事をするな!』
なんてクレームもないはずで....
まぁ....盆と正月くらいは全員休みたいだろうし..360日で計算すると......。

式1:1200*360=432,000*7.5=3,240,000合
式2:1300*360=468,000*7.5=3,510,000合

20万2,600石って202,600,000合だから

202,600,000合の3,240,000合or3,510,000合って何パーセント?

式1:3,240,000/202,600,000*100=1.5992 約1.6%
式2:3,510,000/202,600,000*100=1.7324 約1.7%

............でも.....山内家の台所事情は「9万8,000石」って説もあった訳で......。

再計算!98,000,000合だから

式1:3,240,000/98,000,000*100=3.3061 約3.3%
式2:3,510,000/98,000,000*100=3.5816 約3.6%

播磨国姫路藩52万石の3.3とか3.6%っておいくら?
式A:520,000*0.033=17,160石=17,160,000合
式B:520,000*0.036=18,720石=18,720,000合

一人当たりの賃金、米7.5合で割ると
式A:17,160,000/7.5=2,288,000
式B:18,720,000/7.5=2,496,000

工期の8年をかけると
式A:2,288,000*8=18,304,000
式B:2,496,000*8=19,968,000

.......多く見積もっても、延べ人数2,000万人か.......。  続きを読む


Posted by もこ at 19:24Comments(0)小ネタ

2007年07月12日

公開計算♪ その1

姫路城築城に動員された工夫さんの人数を計算してみよう♪ その1

☆仮説1(ラクチン編)☆
1.公共事業費(人件費?)は3%らしぃ........。

現存の姫路城は「池田輝政」が築城した物で、52万石、工期は8年と言われている
52万石の3%は1.56万石........万石って!!米の単位って??
10勺で1合、10合で1升、10升で1斗、4斗で1俵、10斗で1石 だそうで....

1.56万石=15600石=156000斗=1560000升=15600000合=156000000勺

高知城は工夫に搗米七合と味噌代を金銭で支給したと資料が残っている
味噌代って.....(賃金、米だけで払えよ!!(笑))
.......米だけで賃金を払っている、仙台城の七合五勺(7.5合)を採用!!

式:15,600,000/7.5=2,080,000
年間延べ人数208万人で工期が8年だから.....
式:2,080,000*8=16,640,000
延べ人数1,664万人?
でも.....本には延べ人数2,400万とか2,500万人って数字が載ってるんだよな......

今日の所はこれくらいにしといたろ!!(笑)  続きを読む


Posted by もこ at 13:41Comments(0)小ネタ

2007年06月14日

うちの「櫓」知りません?

姫路市立城郭研究室の学芸員さんは、まじめに探しておられます。


姫路城に現存する、櫓の数は「38」(昔は113)・門の数は「21」(昔は84)

「不戦の城」で知られる姫路城、池田三左衛門輝政が8年の歳月と(1601〜1609年)
延べ2,500万人の播磨、備前両国の夫役を動員して築城
戦国時代をのりきり、第二次世界大戦でも戦火を免れた「姫路城」

何故?少なくなってるの?
明治以降、陸軍の軍用地になったエリアや戦後に市街地化された部分があるからです。

「解体して燃やしちゃったの?」
姫路市飾東町山崎にある「八王子神社」の「高麗門」は姫路城の城門を移築したといわれています。

それ以外は?
空襲で焼けてしまったので、確認はとれないそうですが
神戸に「姫路城の備前丸の櫓」が移築されたいう建物が建っていたそうです。
(姫路城のモノかは解らないそうですが、どこかの城郭施設だった可能性は高いそうです)

それだけ?
確認がとれている、移築建築物は少ないそうです......。
姫路市立城郭研究室の学芸員さんは まじめに、探しておられます。
建物以外にも「襖・欄間・把手」等の装飾品なども含まれるようです。
(把手を探しておられるなら、釘隠しとかも?)

『うちの蔵にある欄間、姫路城の向屋敷にあったものらしぃ...』って聞いた事があります!
って方は姫路市立城郭研究室の学芸員さんまでご一報を

その他にも『うちの○○知りませんか?』と情報を募っている、お城は非常に多く

中でもすごいのは「丸亀城」 どーん!っと太っ腹の金貨総額1,000万円の懸賞金金貨
募集期間:平成16年4月1日〜平成23年3月31日
(復元できる写真資料が見つかった場合は打ち切り、この日記を書いた時点では募集中)

丸亀城の古い写真(明治9年頃以前)をお持ちの方は↓をご覧下さい
丸亀市では「隅櫓跡及び多聞跡」の復元を目指し、古写真を収集しています。  続きを読む


Posted by もこ at 17:45Comments(0)小ネタ