2007年07月10日

【姫路城城主 一覧】

城主・生没年・城主(領主・藩主)になった年/年齢・備考

赤松則村(のりむら)1277-1350 1333(元弘03年)56歳(法号 円心)

赤松貞範(さだのり)1306-1374 1346(正平元年)40歳(則村次男)
小寺頼季(よりすえ)0000-1352 1349(正平04年)??歳(赤松家臣)
小寺景治(かげはる)0000-1358 1352(正平07年)??歳(頼季次男/赤松家臣)
小寺景重(かげしげ)0000-1403 1358(延文03年)??歳(景治長男/赤松家臣)
小寺職治(もとはる)0000-1441 1403(応永10年)??歳(景重長男/赤松家臣)

----嘉吉の乱で赤松氏滅亡 赤松氏、姫路城を明渡す-----

山名持豊(もちとよ)1404-1473 1441(嘉吉元年)37歳

----赤松氏の遺臣が後南朝から神爾を奪回した功績により政則の家督相続が許さる----

赤松政則(まさのり)1455-1496 1467年(応仁元年)12歳
小寺豊職(とよもと)0000-1491 1470年(文明02年)??歳(赤松家臣)
小寺政隆(まさたか)1472-1530 1491年(延徳03年)19歳(豊職長男/赤松家臣)
小寺則職(のりもと)1495-1576 1519年(永正16年)24歳(政隆長男)
八代道慶(どうけい)0000-0000 1532年(享禄04年)??歳(小寺家老)
黒田重隆(しげたか)1508-1564 1545年(天文14年)37歳(小寺家臣)
黒田職隆(もとたか)1522-1585 1564年(永禄07年)42歳(黒田重隆の子)
黒田孝高(よしたか)1546-1604 1567年(永禄10年)21歳(職隆の子/キリシタン大名)

----黒田孝高、羽柴秀吉に姫路城を譲る-----

羽柴秀吉(ひでよし)1537-1598 1580年(天正08年)43歳(後の豊臣秀吉)
羽柴秀長(ひでなが)1540-1591 1583年(天正11年)43歳(羽柴秀吉の異父弟)
木下家定(いえさだ)1543-1608 1585年(天正13年)42歳(秀吉正室の兄)

----徳川家康が征夷大将軍に任官 徳川幕府のはじまり(1603)-----
----木下家定、徳川家康により転封-----

池田輝政(てるまさ)1564-1613 1600年(慶長05年)37歳(継室:徳川家康次女 督姫)
池田利隆(としたか)1584-1616 1613年(慶長18年)30歳(池田輝政長男)
池田光政(みつまさ)1609-1682 1616年(元和02年)08歳(池田利隆長男)

----池田光政、幼少の為転封-----

本多忠政(ただまさ)1575-1631 1617年(元和03年)43歳(父:忠勝は徳川家康重臣)
本多政朝(まさとも)1599-1638 1631年(寛永08年)32歳(本多忠政次男)
本多政勝(まさかつ)1614-1671 1638年(寛永15年)25歳(祖父:本多忠勝)

----本多政勝、本家の家督を継ぐ為転封-----

松平忠明(ただあき)1583-1644 1639年(寛永16年)57歳(母:徳川家康養子 亀姫)
松平忠弘(ただひろ)1634-1700 1644年(正保元年)14歳(松平忠明長男)
松平直基(なおもと)1604-1648 1648年(慶安元年)45歳(祖父:徳川家康)
松平直矩(なおのり)1642-1695 1648年(慶安元年)07歳(松平直基長男)

----松平直矩、幼少の為転封-----

榊原忠次(ただつぐ)1605-1665 1649年(慶安02年)45歳(祖父:徳川四天王榊原康政)
榊原政房(まさふさ)1641-1667 1665年(寛文05年)25歳(榊原忠次二男)
榊原政倫(まさみち)1665-1687 1667年(寛文05年)03歳(榊原政房長男)

----榊原政倫、幼少の為転封 ※幼少の為、姫路城主にはなっておりません-----

松平直矩(なおのり)1642-1695 1667年(寛文07年)26歳(姫路に復帰)

----松平直矩、親戚の越後高田藩の御家騒動により転封-----

本多忠国(ただくに)1666-1704 1682年(天和02年)17歳(祖父:本多忠政)
本多忠孝(ただたか)1698-1709 1704年(宝永元年)07歳(本多忠国三男)

----本多忠孝、幼少の為転封-----

榊原政邦(まさくに)1675-1726 1704年(宝永元年)30歳(養父:榊原政倫)
榊原政祐(まさすけ)1705-1732 1726年(享保11年)22歳(榊原政邦次男)
榊原政岑(まさみね)1713-1742 1732年(享保17年)18歳(養父:榊原政祐)
榊原政永(まさなが)1735-1808 1741年(寛保元年)07歳(榊原政岑長男)

----榊原政永、父榊原政岑の不行跡の為転封-----

松平明矩(あきのり)1713-1743 1741年(寛保元年)29歳(養父:松平直矩)
松平朝矩(とものり)1738-1768 1748年(寛延元年)11歳(明矩長男)

----松平朝矩、幼少の為転封-----

酒井忠恭(ただずみ)1710-1772 1749年(寛延02年)40歳(正室:榊原政邦次女)
酒井忠以(ただざね)1756-1790 1772年(安永元年)18歳(養父:忠恭 父:忠恭)
酒井忠道(ただひろ)1777-1837 1790年(寛政02年)14歳(酒井忠以長男)
酒井忠実(ただみつ)1779-1848 1814年(文化11年)36歳(養父:忠道 父:忠以)
酒井忠学(ただのり)1809-1844 1835年(天保06年)28歳(養父:忠実 父:忠道)
酒井忠宝(ただとみ)1829-1853 1844年(弘化元年)16歳(養父:忠学 妻:忠学娘)
酒井忠顕(ただてる)1836-1860 1853年(嘉永06年)18歳(養父:忠宝 妻:忠宝娘)
酒井忠績(ただしげ)1827-1895 1860年(万延元年)34歳(養父:忠顕 父:酒井忠誨*)
酒井忠惇(ただとし)1839-1907 1867年(慶応03年)29歳(養父:忠績 父:酒井忠誨*)
酒井忠邦(ただくに)1854-1879 1868年(明治元年)15歳(高祖父:忠恭 妻:忠顕娘)

----版籍奉還(1869年7月25日)-----
----酒井忠績/忠惇/忠邦 大名華族に----

酒井忠邦 藩知事となり、廃藩置県(1871年7月14日)で免官。

華族令が制定され、爵位が与えられる。(1884年制定)
大名家であった播磨国姫路藩酒井家は伯爵が与えられた


本おまけ 家系図で見る《姫路城主と徳川将軍家》

*酒井忠誨 雅楽頭酒井家分家(旗本5千石)

小寺頼季/小寺景治/小寺景重/小寺職治/小寺豊職 の生まれたとされる年
八代道慶の生没年
もしくは城主になった年齢(何歳くらいでもかまいません)
ご存知の方はご一報下さい。

※城主の方の生没年は有力な説を書きました。
 (末裔の方で『墓などには何年と刻まれている』って方がいらっしゃいましたら、お知らせ下さい)
 (多数の方は年齢は資料に基づくモノで、計算機で計算すると、あわない方がいらっしゃいます)

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