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姫路観光文化検定《姫路検定》
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「3級」は持ってるけど.....
ja
Wed, 11 Mar 2009 17:54:38 +0900
Fri, 19 Nov 2010 13:21:59 +0900
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もこ
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大阪市生まれの堺市育ち。姫路って?!!住んでみたら未知の世界。姫路を知る為に「姫路観光文化字典」で勉強中です!!。《受講講座》姫路市立城郭研究室姫路城基礎ゼミナール
【夏期限定】あさがお観察日記 公開中
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姫路城の基礎知識
昨年度、姫路市立城郭研究室の「姫路城基礎ゼミナール(Aコース)」を受講した際
(第1講は2007年7月11日)
大塚さんが(私が勝手に付けたあだ名)
『時間はかかると思いますが、今回のゼミをまとめた冊子をお送りします』
っとおっしゃってたモノが今日送られて来た。
(A4 全カラー 36ページ)
手元にあったら良いな....って思っていた写真も掲載されており
・空襲に備え、黒く擬装された姫路城(白黒写真)
・明治修理以前のボロボロになっている大天守(白黒写真)等々
ギュッと凝縮された内容は、お城マニアにはたまりません♪
城郭研究室で有償頒布もしています、詳しくはコチラまで
https://himeken.tenkomori.tv/e84357.html
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城郭研究室ネタ
Wed, 11 Mar 2009 17:54:38 +0900
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お城の修理も大変!!
5月17日 城郭研究室で行われた
「姫路城大天守の修理説明会」でのお話
この日は、いつも見かける「おじいちゃま方」の他に
「昭和の大修理」にかかわった方
「平成の修理」にかかわる予定の方 もいらっしゃり
定員:180名に対して、300名以上の方が来ていたようです
「修理説明会」の後に質疑応答があったのですが
「昭和の大修理」にかかわった方が
『今回の修理では、工事関係者用のトイレが最上階にはあるのか?』
っと言う質問でした。
『素屋根があっても、天守上部は寒く、トイレが近い!!』<経験者は語る
『実は.....屋根に....』語っちゃったよ!昭和の大修理工事関係者
今回、車いすでの見学も可能な為
車いすの方が利用出来る、トイレの設置は考えていたようですが
工事関係者用の天守上部から近い場所に
トイレを設置するなんて事は頭に浮かばなかったようです。
ってな訳ですので、工期も短い事ですし
「工事関係者用のトイレ」最上階に作ってあげて下さい♪
https://himeken.tenkomori.tv/e39510.html
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城郭研究室ネタ
Sun, 25 May 2008 00:00:00 +0900
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姫路城天守工事履歴
現存大天守の工事履歴(主な修理)
1609年(慶長14):大天守完成
1626年(寛永03):初重軒に方杖追加
1656年(明暦02):心柱根継、床、支柱追補
1684年(貞享01):支柱追加(29本、地下〜4階)
1687年(貞享04):支柱(17本、1階〜5階)
この間、3度の記録あり
1743年(寛保03):筋違、支柱追加(11本、地下〜5階)
この間、構造補強の記録あり
1802年(享和02)
1808年(文化05):屋根の修理(~1861年)
1910年(明治43):大天守などの修理に着手(~1911年)
初重軒崩壊、1階ひさし落下
南東に50cm傾いていた為
筋違挿入(地下〜6階全面)
全189本に対し、約100本の支柱を挿入
1935年(昭和10):昭和の修理工事(~1964年)
戦争により工事中断
1956年(昭和31):天守群解体復元工事(昭和の大修理)(~1964年)
1973年(昭和48):1階、漆喰塗替
1980年(昭和55):5階上部の一部、漆喰塗替
1981年(昭和56):5階上部の窓、漆喰塗替
1984年(昭和59):1階、漆喰塗替
1999年(平成11):小天守群、渡り櫓など国宝7棟を修理(~2004年)
2004年(平成16):台風16・18号被害による修理
2009年(平成21):大天守保存修理の為の資材搬入台等工事に着手
2010年(平成22):大天守保存修理工事に着手(大天守本体素屋根工事開始)
2014年(平成26):大天守保存修理完了
https://himeken.tenkomori.tv/e39400.html
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城郭研究室ネタ
Fri, 23 May 2008 15:38:28 +0900
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不戦の城、姫路城
不戦の城と言われている「姫路城」
1333年(元弘3)に「赤松円心」が姫山に縄張りをはってから
最後の城主「酒井忠邦」まで「48代(人)の姫路城主」が
争う事無く、入れ替わって行き
「太平洋戦争」時も、米軍が爆弾投下を避けたと言われている「姫路城」ですが
実は2度、戦火を逃れています
「戊辰戦争」
鳥羽伏見の戦い(1868年)の後、姫路藩は朝廷の追討をうけます
姫路藩追討は岡山藩に命じられ、龍野藩は岡山藩の応援に
赤穂・林田・安志・小野などの播磨諸藩も岡山藩の指揮下に入る事を命じられます
岡山藩は姫路城下に出兵し、討伐の命が下がった事を伝えると
姫路藩は藩をあげて恭順し翌日人質を出すことを約し、平和裏に開城することを申し出るが
翌日、岡山藩は、船場川沿いの備前門・車門・市ノ橋門に大砲をすえ
景福寺山山上の号砲を合図に4,5発城に砲撃を加えられ
姫路藩は直ちに開城し、藩家中は一斉に退場、一戦に及ばず岡山藩の接収に従いました
この時に、一部壊れたようです。
「太平洋戦争」
1941年太平洋戦争が勃発
1645年6月22日と7月3日に米軍爆撃機B29が姫路を空襲
市街地中心部は瓦礫の山と化し、西の丸・三の丸に焼夷弾が被弾
三の丸にあった中学校校舎は焼失したが、姫路城は奇跡的に残りましたが
広島城・福山城・岡山城・和歌山城・大垣城・名古屋城の天守等は焼失しました。
https://himeken.tenkomori.tv/e35993.html
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城郭研究室ネタ
Mon, 21 Apr 2008 20:03:24 +0900
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縄張り・普請(石垣等)
「第2講:縄張り・普請(石垣等)(2007/8/8受講)」
1333年(元弘3):赤松円心、姫山に縄張り
1346年(貞和2):赤松貞範、姫山に城を築く
1581年(天正9):羽柴秀吉、姫路城の築城
1601年(慶長6):池田輝政、姫路城の大改修(築城とも記載されています)
1617年(元和3):本多忠政、姫路城を改修
上記は「姫路観光文化字典」にも記載されています
姫路城の創建
第1期
1333「赤松円心、姫山に縄張り」(播磨鑑)
1346「赤松貞範、姫山に城を築く」(播州諸城交替連綿之記)
1349「小寺頼季、姫路城に置く」
第2期
1441「山名持豊、播磨国を与えられ姫路に入る」(姫路考略記)
1545「黒田重隆、小寺の命により姫路城へ」(黒田家譜)
第3期
1555「上月里軒、姫路山を称名寺に売る」(正明寺文書)
1561「姫路御構 の存在確認」(正明寺文書)
1579「羽柴秀吉、播磨侵攻」(信長公記)
第4期
1580「秀吉、姫路城築城」(龍野町制札)
1609「姫路城天守完成」(池田家履歴略記、墨書銘)
1618「西の丸造成許可」(本多家文書)
1656「天守大柱根継、補強柱」(工事報告書3)
とされていますが、第1期に造られたとする説がある一方で
「第1期&第2期」に城が存在したことを証明する史料が見つかっていないそうです。
また「無かった」ことを証明する史料も無いそうです。
そんな中途半端な状態で「姫路市史」に記載する訳はいかないので
「姫路市史」には、史料的な裏付けが得られる第3期以降に
姫路城が創建された っと書かれているそうです。
『え?』
1545「黒田重隆、小寺の命により姫路城へ」(黒田家譜)
コレって、黒田家の史料に書かれているのに!っと思ったのですが
「黒田家以外の第三者が書いた史料が無い」為、却下だそうです。
1609「姫路城天守完成」(池田家履歴略記、墨書銘)
コレに関しては、池田家の史料に書かれていると共に
柱等に当時の工夫さんが墨書きを残しているので、採用だそうです。
「建物」は残っているが「史料」が残っていない「姫路城」
史料が少ない為、推測が多いそうです。
『末裔の皆様、私は史料が見たい だけです』
っと城郭研究室の方がせつに訴えてらっしゃいました
『史料が門外不出なのは解っております
配慮もいたします』っとおっしゃってました
もし、史料をお持ちの「姫路城主」やその関係者の末裔の方
城郭研究室の口の堅い学芸員さんを紹介いたしますので、ご一報下さい♪
この日のゼミでは
姫路城の史料が少ない事と
門外不出の本当の意味を知った日でした
石垣ネタは長くなるので、別途書きます。
姫路市立城郭研究室で受講した内容を「思い出しながら」書きました
内容はかなりマニアックですがご了承下さいm(__)m。
https://himeken.tenkomori.tv/e32134.html
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城郭研究室ネタ
Tue, 01 Apr 2008 16:17:37 +0900
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姫路城の歴史
「第1講:姫路城の歴史(2007/7/11受講)」
中世の姫路城:小寺(黒田)氏の城
近世の姫路城:羽柴秀吉による築城 石垣・天守・市(御殿)
池田輝政による大改修 構造物群・城下町・三左衛門堀
本多忠政による改修 三の丸・西の丸・船場川
(榊原忠次、本多忠国による補修)
近代の姫路城:官軍に降伏(明治元)=>存城決定=>陸軍の駐屯
備前丸の焼失(明治15) 台所を使っていて出火したと言われてます
明治の修理(明治18年以前と明治43年)
昭和の大修理
平成の修理
「おおまかな」姫路城(お城本体)の歴史は以上です
この日のゼミでは
古文書、礎石の位置図面、姫山の柱の位置が書かれた断面図、屋敷に敷地の図面
等々のコピーが配られ......
『よくばりすぎちゃいました! 次回からは細かい内容をやっていきます』
『宿題です!姫路城 築城にたずさわった
工夫さんの人員の仮説をたててみて下さい!』
前途多難です!!
何が困ったかと言うと
1.姫路市の土地カンが無いので「野里地区」と言われても、何処か解らない
2.「初心者コース」なのに、姫路城に関する基本的な事は省略される事が多い
(出席者の多くが「姫路検定合格者」や「シルバーガイドさん」の為
「そんな基本的な話は今更」っと次へ進む)
3.姫路城にかかわる人物名は「フルネームで呼ばない」(例「官兵衛」「源兵衛」)
城主は「姫路検定」の勉強で憶えたのですが.....通称名とか、それ以外の方は憶えていなかった
助かったのは
担当の「学芸員」さんが、標準語でお話しして下さった事 くらいで(^^;
次回に向け「姫路城周辺の土地名」「人物名」は憶えよう
っと誓ったのでした。
姫路市立城郭研究室で受講した内容を「思い出しながら」書きました
《工夫さんの人員の仮説》
もこ説 姫路築城動員人数(No1)
その他の仮説
公開計算♪ その1
公開計算♪ その2
公開計算♪ その3
公開計算♪ その4
https://himeken.tenkomori.tv/e32132.html
https://himeken.tenkomori.tv/e32132.html
城郭研究室ネタ
Fri, 21 Mar 2008 00:03:22 +0900