2009年06月08日
黒田氏(家)が気になる!
『気になる!』シリーズ第九弾♪
NHK大河ドラマに!っという、動きがある為か
黒田氏・黒田家の事が気になる方がいらっしゃるようで.....。
姫路にゆかりのあった黒田氏限定!家系図(略)
※
:姫路城主だった方
12
6.黒田重隆(12代姫路城主・6代黒田氏)
(生-没年)
城主だった時期
黒田孝高
黒田24騎が気になる!
姫路城城主 一覧 続きを読む
NHK大河ドラマに!っという、動きがある為か
黒田氏・黒田家の事が気になる方がいらっしゃるようで.....。
姫路にゆかりのあった黒田氏限定!家系図(略)
近江国 黒田荘 ┃ | |||
(略) ┃ | |||
5.黒田隆政 ┃ | |||
12![]() (1508-1564) 広峯神社神官:?-? 姫路城:1545-1564 ┃ | |||
13![]() (1522-1585) 姫路城:1564-1567 | = ┃ ┃ ┃ | 明石宗和の娘 (小寺政職養女) | |
14![]() (1546-1604) 姫路城:1567-1580 国府山城:1580-1587 中津城:1587-1589 | = ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ | 照福院 [正室] | |
大凉院 [継室] (徳川家康養女) | = ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ | 9.黒田長政 (1568-1623) 中津城:1589-1600 名島城:1600- 福岡城:1601着工 /1606完成 | |
娘 [正室] | = | 28![]() (1605-1665) 姫路城:1649-1665 |
※

12

(生-没年)
城主だった時期
黒田孝高
黒田24騎が気になる!
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タグ :気になる!シリーズ
2008年07月12日
黒田24騎が気になる!
『気になる!』シリーズ第七弾♪
黒田二十四騎の事が気になる方がいらっしゃるようですが.....。
黒田二十四騎と言われましてもねぇ....
姫路検定には出ません♪(たぶんね.....公式本には記述無し)
姫路で「黒田」と言えば
「重隆(小寺家臣)」「職隆(重隆の子)」「孝高(通称:官兵衛/職隆の子)」
の3名、ともに姫路藩主
官兵衛さんは1580年に羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)に姫路を譲り
職隆とともに飾東郡(現在の姫路市東部)の国府山城(妻鹿[めが])へ
最終的には「豊前国中津城主」に落ち着きましたが
戦国大名の官兵衛さんと息子の長政
自分の家臣から24名の精鋭部隊を結成
それが「黒田二十四騎」と言われる方々
黒田長政(孝高嫡男 1568~1623:姫路城生まれ)
官兵衛と同様でキリシタン、洗礼名:ダミアン
娘は「姫路城主 榊原忠次」の正室
【黒田八虎】黒田二十四騎の中でも精鋭の8名
黒田利高(官兵衛の弟 1554~1596:姫路生まれ/兵庫助)
黒田利則(官兵衛の異母弟 1561~1612:姫路生まれ/修理亮)
黒田直之(官兵衛の異母弟 1564~1609:姫路生まれ/図書助)
官兵衛と同様でキリシタン、洗礼名:パウロ
栗山利安(1550?~1631:飾西郡栗山村生まれ/四郎右衛門・備後守)
井上之房(1554~1634:姫路松原生まれ/九郎右衛門・周防守)
母里友信(1556?~1615:播磨妻鹿生まれ/毛利氏・太兵衛・但馬守)
黒田節のモデルとなった方
後藤基次(1560~1615:姫路南山田生まれ/又兵衛)
黒田一成(1571~1656:摂津国伊丹生まれ/三左衛門・美作守)
以上が【黒田八虎】の8名
益田宗清(1542?〜1661/与助)
久野重勝(1545~1592/四兵衛)
吉田長利(1547~1623/六郎太夫・壱岐守)
三宅家儔(1552~1623:姫路三宅生まれ/山太夫・若狭守)
衣笠景延(1552?~1631/久右衛門・因幡守)
小河伸章(1554〜1593:姫路小川生まれ/伝右衛門)
桐山信行(1554~1623:姫路生まれ/孫兵衛・丹波守)
毛屋武久(1554~1628:近江国生まれ/主水・武蔵)
堀 正勝(1557~1636:明石生まれ/平右衛門)
原 種良(1557〜1639/弥左衛門・伊予守)
野口一成(母里友信の義弟 1559~1643/左助)
野村祐勝(母里友信の弟 1560~1597:播磨妻鹿生まれ/太郎兵衛)
竹森次真(1560~1621:姫路大野生まれ/新右衛門・石見)
村田吉次(1565~1621:播磨国竜野?生まれ/井口兵助・出羽守)
菅 忠利(1567~1625:新宮町市野保生まれ/六之助・和泉守)
林 直利(1569~1629/太郎右衛門・掃部亮)
【史料館】
「播州・黒田武士の館」住所:姫路市飾磨区妻鹿東海町
(一般公開されているのか不明です。お問い合わせ下さい)
【黒田二十四騎リンク集】
・黒田武士の館
(黒田家の血縁者で漫画家の本山一城氏のHP)
・播磨の黒田武士顕彰会
・豊前國中津 黒田武士顕彰会 続きを読む
黒田二十四騎の事が気になる方がいらっしゃるようですが.....。
黒田二十四騎と言われましてもねぇ....
姫路検定には出ません♪(たぶんね.....公式本には記述無し)
姫路で「黒田」と言えば
「重隆(小寺家臣)」「職隆(重隆の子)」「孝高(通称:官兵衛/職隆の子)」
の3名、ともに姫路藩主
官兵衛さんは1580年に羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)に姫路を譲り
職隆とともに飾東郡(現在の姫路市東部)の国府山城(妻鹿[めが])へ
最終的には「豊前国中津城主」に落ち着きましたが
戦国大名の官兵衛さんと息子の長政
自分の家臣から24名の精鋭部隊を結成
それが「黒田二十四騎」と言われる方々
黒田長政(孝高嫡男 1568~1623:姫路城生まれ)
官兵衛と同様でキリシタン、洗礼名:ダミアン
娘は「姫路城主 榊原忠次」の正室
【黒田八虎】黒田二十四騎の中でも精鋭の8名
黒田利高(官兵衛の弟 1554~1596:姫路生まれ/兵庫助)
黒田利則(官兵衛の異母弟 1561~1612:姫路生まれ/修理亮)
黒田直之(官兵衛の異母弟 1564~1609:姫路生まれ/図書助)
官兵衛と同様でキリシタン、洗礼名:パウロ
栗山利安(1550?~1631:飾西郡栗山村生まれ/四郎右衛門・備後守)
井上之房(1554~1634:姫路松原生まれ/九郎右衛門・周防守)
母里友信(1556?~1615:播磨妻鹿生まれ/毛利氏・太兵衛・但馬守)
黒田節のモデルとなった方
後藤基次(1560~1615:姫路南山田生まれ/又兵衛)
黒田一成(1571~1656:摂津国伊丹生まれ/三左衛門・美作守)
以上が【黒田八虎】の8名
益田宗清(1542?〜1661/与助)
久野重勝(1545~1592/四兵衛)
吉田長利(1547~1623/六郎太夫・壱岐守)
三宅家儔(1552~1623:姫路三宅生まれ/山太夫・若狭守)
衣笠景延(1552?~1631/久右衛門・因幡守)
小河伸章(1554〜1593:姫路小川生まれ/伝右衛門)
桐山信行(1554~1623:姫路生まれ/孫兵衛・丹波守)
毛屋武久(1554~1628:近江国生まれ/主水・武蔵)
堀 正勝(1557~1636:明石生まれ/平右衛門)
原 種良(1557〜1639/弥左衛門・伊予守)
野口一成(母里友信の義弟 1559~1643/左助)
野村祐勝(母里友信の弟 1560~1597:播磨妻鹿生まれ/太郎兵衛)
竹森次真(1560~1621:姫路大野生まれ/新右衛門・石見)
村田吉次(1565~1621:播磨国竜野?生まれ/井口兵助・出羽守)
菅 忠利(1567~1625:新宮町市野保生まれ/六之助・和泉守)
林 直利(1569~1629/太郎右衛門・掃部亮)
【史料館】
「播州・黒田武士の館」住所:姫路市飾磨区妻鹿東海町
(一般公開されているのか不明です。お問い合わせ下さい)
【黒田二十四騎リンク集】
・黒田武士の館
(黒田家の血縁者で漫画家の本山一城氏のHP)
・播磨の黒田武士顕彰会
・豊前國中津 黒田武士顕彰会 続きを読む
2008年03月19日
桜井源兵衛
桜井源兵衛(?年-?年):大工の棟梁
池田輝政が築城した姫路城を9年の歳月をかけ完成させた時の棟梁
「棟梁・桜井源兵衛の投身伝説」
竣工間もないころに、1人の男が天守から身を投げて自殺したと伝えられている。
精魂込めて築いた天守が東南の方向に傾いている、という批評を聞き
天守に登り、鑿(ノミ)をくわえて飛び降りた
という伝説
史実で無いと言うのが一般的だが 酒井家の記録「姫陽秘鑑」に記載されている。
『東に傾く姫路のお城 花のお江戸を恋しがる』という川柳も詠まれた
(池田輝政室は江戸徳川家から嫁いだ督姫)
城郭研究室の方は
『源兵衛さんは、天守が傾く事は計算に入っていた』
っておっしゃっていました
理由:大天守が建っている、土台の姫山は東南部分は盛土で地盤が柔らかい
源兵衛さんが盛土工事を行っているので、軟弱地盤はもちろん解っていた
『傾きを計算して建てたはずだが、計算よりも傾きがひどかったので
自分の計算の甘さから「引退」した と言うのが本当の所でしょう』
っておっしゃってました。
「昭和の大修理」の時、「大天守をコンクリート基礎」にしたのは
調査の結果、今後も南東の地盤沈下は避けられない
っという結論が出たからだそうです 続きを読む
池田輝政が築城した姫路城を9年の歳月をかけ完成させた時の棟梁
「棟梁・桜井源兵衛の投身伝説」
竣工間もないころに、1人の男が天守から身を投げて自殺したと伝えられている。
精魂込めて築いた天守が東南の方向に傾いている、という批評を聞き
天守に登り、鑿(ノミ)をくわえて飛び降りた
という伝説
史実で無いと言うのが一般的だが 酒井家の記録「姫陽秘鑑」に記載されている。
『東に傾く姫路のお城 花のお江戸を恋しがる』という川柳も詠まれた
(池田輝政室は江戸徳川家から嫁いだ督姫)
城郭研究室の方は
『源兵衛さんは、天守が傾く事は計算に入っていた』
っておっしゃっていました
理由:大天守が建っている、土台の姫山は東南部分は盛土で地盤が柔らかい
源兵衛さんが盛土工事を行っているので、軟弱地盤はもちろん解っていた
『傾きを計算して建てたはずだが、計算よりも傾きがひどかったので
自分の計算の甘さから「引退」した と言うのが本当の所でしょう』
っておっしゃってました。
「昭和の大修理」の時、「大天守をコンクリート基礎」にしたのは
調査の結果、今後も南東の地盤沈下は避けられない
っという結論が出たからだそうです 続きを読む
タグ :姫路城
2008年03月12日
高尾太夫が気になる!
『気になる!』シリーズ第三弾♪
高尾太夫さんの事が気になる方がいらっしゃるようなので.....。
ココでは、姫路に来た「三浦屋10代目高尾太夫」さんについて書きます。
高尾太夫(?年-?年)江戸新吉原の遊女 三浦屋10代目太夫
(何代目かは所説ありますが、ココでは参考資料に書かれていた10代目を採用します)
84歳で安らかな往生をとげた と伝えられています。
身請けしたのは、榊原政岑(1713年-1743年)姫路城主
寛保元年(1741年)06月 高尾を身請け「身代金2,500両 総経費3,000両」姫路城西屋敷に住む
寛保元年(1741年)10月 政岑不行跡のため、隠居謹慎を命じられ後、政岑と共に越後高田へ
寛保3年(1743年)03月 政岑死去、髪をおろし「連昌院」と号し、菩提を弔った
身請けの総経費は現在のお金に換算すると3億円くらいだそうです(1両=10万円) 続きを読む
高尾太夫さんの事が気になる方がいらっしゃるようなので.....。
ココでは、姫路に来た「三浦屋10代目高尾太夫」さんについて書きます。
高尾太夫(?年-?年)江戸新吉原の遊女 三浦屋10代目太夫
(何代目かは所説ありますが、ココでは参考資料に書かれていた10代目を採用します)
84歳で安らかな往生をとげた と伝えられています。
身請けしたのは、榊原政岑(1713年-1743年)姫路城主
寛保元年(1741年)06月 高尾を身請け「身代金2,500両 総経費3,000両」姫路城西屋敷に住む
寛保元年(1741年)10月 政岑不行跡のため、隠居謹慎を命じられ後、政岑と共に越後高田へ
寛保3年(1743年)03月 政岑死去、髪をおろし「連昌院」と号し、菩提を弔った
身請けの総経費は現在のお金に換算すると3億円くらいだそうです(1両=10万円) 続きを読む
タグ :気になる!シリーズ
2008年03月06日
高須隼人が気になる!
『気になる!』シリーズ第二弾♪
高須隼人さんの事が気になる方がいらっしゃるようなので.....。
でも....高須隼人さんが気になると言われても........。
「姫路城主酒井忠惇の家老」ですってダメですか?
ダメですよね......。
お屋敷はココだ!!


実物:実測図 約1/1600 142cm×113cm 文化13年(1816)以前に書かれたもの
酒井家旧蔵図
現在の「高須隼人屋敷跡」


<クリック拡大 続きを読む
高須隼人さんの事が気になる方がいらっしゃるようなので.....。
でも....高須隼人さんが気になると言われても........。
「姫路城主酒井忠惇の家老」ですってダメですか?
ダメですよね......。
お屋敷はココだ!!


実物:実測図 約1/1600 142cm×113cm 文化13年(1816)以前に書かれたもの
酒井家旧蔵図
現在の「高須隼人屋敷跡」
タグ :気になる!シリーズ