2007年06月14日
うちの「櫓」知りません?
姫路市立城郭研究室の学芸員さんは、まじめに探しておられます。
姫路城に現存する、櫓の数は「38」(昔は113)・門の数は「21」(昔は84)
「不戦の城」で知られる姫路城、池田三左衛門輝政が8年の歳月と(1601〜1609年)
延べ2,500万人の播磨、備前両国の夫役を動員して築城
戦国時代をのりきり、第二次世界大戦でも戦火を免れた「姫路城」
何故?少なくなってるの?
明治以降、陸軍の軍用地になったエリアや戦後に市街地化された部分があるからです。
「解体して燃やしちゃったの?」
姫路市飾東町山崎にある「八王子神社」の「高麗門」は姫路城の城門を移築したといわれています。
それ以外は?
空襲で焼けてしまったので、確認はとれないそうですが
神戸に「姫路城の備前丸の櫓」が移築されたいう建物が建っていたそうです。
(姫路城のモノかは解らないそうですが、どこかの城郭施設だった可能性は高いそうです)
それだけ?
確認がとれている、移築建築物は少ないそうです......。
姫路市立城郭研究室の学芸員さんは まじめに、探しておられます。
建物以外にも「襖・欄間・把手」等の装飾品なども含まれるようです。
(把手を探しておられるなら、釘隠しとかも?)
『うちの蔵にある欄間、姫路城の向屋敷にあったものらしぃ...』って聞いた事があります!
って方は姫路市立城郭研究室の学芸員さんまでご一報を
その他にも『うちの○○知りませんか?』と情報を募っている、お城は非常に多く
中でもすごいのは「丸亀城」 どーん!っと太っ腹の
総額1,000万円の懸賞金
募集期間:平成16年4月1日〜平成23年3月31日
(復元できる写真資料が見つかった場合は打ち切り、この日記を書いた時点では募集中)
丸亀城の古い写真(明治9年頃以前)をお持ちの方は↓をご覧下さい
丸亀市では「隅櫓跡及び多聞跡」の復元を目指し、古写真を収集しています。
姫路城に現存する、櫓の数は「38」(昔は113)・門の数は「21」(昔は84)
「不戦の城」で知られる姫路城、池田三左衛門輝政が8年の歳月と(1601〜1609年)
延べ2,500万人の播磨、備前両国の夫役を動員して築城
戦国時代をのりきり、第二次世界大戦でも戦火を免れた「姫路城」
何故?少なくなってるの?
明治以降、陸軍の軍用地になったエリアや戦後に市街地化された部分があるからです。
「解体して燃やしちゃったの?」
姫路市飾東町山崎にある「八王子神社」の「高麗門」は姫路城の城門を移築したといわれています。
それ以外は?
空襲で焼けてしまったので、確認はとれないそうですが
神戸に「姫路城の備前丸の櫓」が移築されたいう建物が建っていたそうです。
(姫路城のモノかは解らないそうですが、どこかの城郭施設だった可能性は高いそうです)
それだけ?
確認がとれている、移築建築物は少ないそうです......。
姫路市立城郭研究室の学芸員さんは まじめに、探しておられます。
建物以外にも「襖・欄間・把手」等の装飾品なども含まれるようです。
(把手を探しておられるなら、釘隠しとかも?)
『うちの蔵にある欄間、姫路城の向屋敷にあったものらしぃ...』って聞いた事があります!
って方は姫路市立城郭研究室の学芸員さんまでご一報を
その他にも『うちの○○知りませんか?』と情報を募っている、お城は非常に多く
中でもすごいのは「丸亀城」 どーん!っと太っ腹の


募集期間:平成16年4月1日〜平成23年3月31日
(復元できる写真資料が見つかった場合は打ち切り、この日記を書いた時点では募集中)
丸亀城の古い写真(明治9年頃以前)をお持ちの方は↓をご覧下さい
丸亀市では「隅櫓跡及び多聞跡」の復元を目指し、古写真を収集しています。
小ネタだけど......。
櫓門の数、輝政が8年の歳月と2,500万人 播磨備前の夫役を動員
は憶えておいた方が良いかも知れません
櫓門の数、輝政が8年の歳月と2,500万人 播磨備前の夫役を動員
は憶えておいた方が良いかも知れません
Posted by もこ at 17:45│Comments(0)
│小ネタ
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